文芸論 (note)

どこから耕すべきか?どうやら感性が決めている‥私の場合ですが。

大した違い≒大した違いでない

大阪で教わった呼び名は「ゲジゲジ」だった‥どうでも好いことかもだけど。それにしてもゲジゲジの正式名称は「ゲジ」のようですが、そもそもゲジってのは素ばしっこくて長い脚してる。ところが大阪のゲジは短い脚で動作が鈍く、私たち日本人を皮肉った言いかたに想えたりしそう。もちろん大阪人に悪意がないのを私は承知しているのです。ただ単に間違ってるだけ、もしくは大阪地方に伝わってきた方言なんですよ。

全国的には「ヤスデ」という名称が使われる。こんなこと書くと「それがどうした、どっちにしても大して違わんだろ?」って返されるかも知れない。いや、ほんと「ゲジとヤスデに大した違いはない」とは‥私も思っているのです。現実、大した違いはない‥だがトンデモナク大きな違いがある。なんのこっちゃ? どちらも嫌われ者‥大した違いはなかろう?だけど嫌うのは大間違いでなかろうか?どちらも益虫‥かもね?

少なくとも益虫として働いてくれているゲジヤスデの両者。もちろん、スタンスの違いから益虫害虫と見做す存在があるのは分る。スタンス‥すなわち、(その人の)価値の基準に置かれている「」は人毎に異なっても不思議はない。殊に多様な人が共生する社会に於いては様々な価値観が拮抗(きっこう)する事態は往々にして起こりえるでしょう?それならどうしたら好い?だからその違いをどう乗越えたら好いと思う?