文芸論 (note)

どこから耕すべきか?どうやら感性が決めている‥私の場合ですが。

愛するために🎶

(私の私見として述べます) ピンク色してるって言いたいけど‥いつだって辛くて苦しい現実が控(ひか)えている。だからってにほとほと愛想が尽きている私ではない。事実「可愛さ余って憎さ百倍」っていうのは私の心の実景なんです。そういうことならは絶えず私の心を流れているってことであなたも同意なさるでしょう?笑

この恋する心が失われてしまったら(私は)どうなるだろう?想像するだけでも恐ろしい日々が控えていそう。恋をすれば辛く苦しく、恋をしない私は干からびたミイラ。干からびたミイラに動かされる心はどこかに有るとしてもそれはミイラには最早詮(せん)無くて、やがて風化して土塊(つちくれ)となるか、砂塵(さじん)に混ざるか‥

いやいや、「があれば大丈夫」と若気の至りは唱えるのかも。あなたならいかがでしょうか? 私は底辺の出生(でしょう)なればに耐えて耐えて耐えぬいてどうにかここまで上ってきたのですけれど、天辺(てっぺん)近きの出生ほど落ちて落ちて落ちてきて立上がれないかも知れません。そうするとは路肩に咲く名もなきかも。

 花の名を確かめる間もなかった‥だけど太宰治はその花から月見草」を咲かせたようにです。太宰のする想いは昇華(しょうか)して高く高く上っていってとなって花開いた。そんなふうに私には想われるのです。大好きな子だからこそ愛せる母性なのだろうなあ。人を好きだからナザレのイエスは人を愛せたのだろうな。

いえいえ、これは飽(あ)くまでも私の私見ですから。只、人を好きという私のだけは永遠に失くしたくない。いやいや、もっともっと強力に癖づけていきたい。