文芸論 (note)

どこから耕すべきか?どうやら感性が決めている‥私の場合ですが。

治罰(ちばつ)

小さな鉢に植わった1株の植物‥そこから途轍(とてつ)もなく大きな悦(よろこ)びが家庭園芸にいそしむ私へ齎(もたら)される‥計算。どんな計算をするのも己の勝手‥と一人合点に済ませて、それで辻褄(つじつま)が合わなければ治罰したくなる私がいる。

こういった視点(‥どんな視点じゃい💦)で観ていくカテゴリー「治罰」を作りました。なお、治罰の読みはばつが一般的かも知れませんが、私の好みでばつとしました。政治の(じ)、治療の(ち)。どちらも魅力的‥ですが私個人感情を重視。(^^;)

 

(ここで止める積もりでしたがもう少し続けます。アセアセ😅 )

この園芸の主体(私)は目的を立派にやり遂(と)げたい。政治ならこれを日本の園芸の‥と云うことになるかも知れないし(私はそれも否定しないが)、そんな総体目的を言うと私の園芸はスムーズに進まなくなる。治罰は駄目‥とか言われたりするからね?

 園芸‥私は自然農法が好きですが、私の現在の微力な能力だと治罰農法を受入れざるを得ず、いやいや、美味い果実を横取りする鴉(からす)には石を投げつけたい程だけど、それは抑(おさ)えているのです。だけどダンゴムシやら蛞蝓には容赦しません。

彼らとも傷つけ遭わなくて済む共生がいいなあ、だけどそれは今しばらくの辛抱と思っている。ともあれ、私の力及ばずであればパワーの行使を否定するものではない。なにせ相手は人間以外の生物。人間は私の側(がわ)の存在‥これ、私の思想、私の

それにしても初めから途轍(とてつ)もなく大きな悦(よろこ)びだとか、辻褄(つじつま)が合わなければとか好き勝手を述べましたが、途轍辻褄道理であれば初めから道理を無視している私と言うべきでしょうが、そこは主体(私)の独裁思考ということで‥。

そんな私のどこに治罰する資格権利があるだろう‥と謙虚になってみたり。(''◇'')ゞ